ⓔコラム18-11-1 江戸時代の日本における鉛中毒

 鉛の化合物の鉛白 (white lead,塩基性炭酸鉛) は古代から白色顔料として長年用いられており,特に日本では人が肌に塗る白粉 (おしろい) の発色成分として用いられてきた.白粉は芸者や舞妓が化粧に使用したり,舞台俳優が舞台化粧で使用するが,照明器具が発達していない江戸時代には,歌舞伎舞台や夜に盛況になる遊郭で,役者や女性の顔を暗闇のなかで浮き立たせるために多用された.特に女性の芸者や舞妓,遊郭の妓楼 (ぎろう) の場合は,顔から首筋,胸元から背中に至るまで幅広く白粉をつけるのが昔の化粧法として主流であったため,使用した母親の胎児が鉛中毒で死亡したり,乳を飲んだ子どもに中毒が多発していたようで,これは1934年に鉛を含む白粉の製造が完全に禁止されるまで続いた.

 江戸時代には鉛中毒による貧血と末梢神経障害が遊郭に多発したが,これが青白い顔色と長く伸びた爪1),両手を垂らした日本独特の幽霊のイメージをつくったとの説がある.つまり遊郭で働く女性は鉛白を含む白粉を頻繁に使ったために鉛中毒になり,そのために小球性小色素性貧血,爪の異常,顔面蒼白,末梢神経障害による垂れ手・垂れ足となり,その様子が日本の幽霊のモデルになったというものである2)

〔古谷博和〕

■文献

  1. 田中 真,池田祥恵,他:At a glance diagnosis 四肢の異常 (7).Clin Neurosci, 2011; 29: 142.

  2. 駒ヶ嶺朋子:怪談に学ぶ脳神経内科,中外医学社,2020.