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内容紹介
過去に起きた環境汚染の事例や施策をとりあげ,公衆衛生・予防医学の視点に立って,人々の健康を守るために必要な知識をまとめた1冊.医学・医療分野,環境分野の学生や実務者にお薦め.〔内容〕環境汚染と健康影響の基礎/日本の公害問題/各種環境汚染による健康影響/環境汚染の評価と対策/科学的エビデンス/予防原則
編集部から
はじめに
世界保健機関(WHO)によると,2016年における世界の全死亡や疾病負荷の約4分の1は,環境リスクに起因すると推算されている。また,世界の疾病負荷研究において,環境および職業関連のリスク因子の占める割合は,2021年の世界の死亡数の約2割,全障害調整生存年の14.4%と推算されている。これらの推計は,環境が人の健康に多大な影響を及ぼしていることを示すと同時に,WHOのメッセージにあるように,環境を改善することで,人の健康を促進できることを示唆している。すなわち,環境汚染による健康リスクを低減する取組みは,人の健康に著しい貢献をする可能性を秘めている。
影響の大きさに加え,社会との関係性の観点から,環境を改善することの重要性と留意点について考える。社会は,豊かで便利な生活を実現するために環境を改変し,その変化が人の健康にさまざまな影響を及ぼしてきた。近年,新たな技術の開発やそれに伴う産業の発達により,社会は加速度を増しながら変化している。同時に,我々の生活を取り巻く環境も急激に変化し,人々の健康に多大な影響を及ぼしている。多くの変化はベネフィットだけではなくリスクを含む。環境に起因する健康リスクを低減することは,利便性を追求して加速する社会の持続性を担保するために必須であり,現代社会における責務といえる。また,環境や社会は,地域や集団としての分布をもつことから,健康影響は,脆弱性の高い地域や感受性の高い集団において,顕著に表れる。そのため,このような分布も考慮して環境を改善していく必要がある。
以上を踏まえ,本書では,環境汚染による健康リスクの低減を目標とし,そのための方法について学ぶ。本書の特徴は,公害や環境汚染などの具体的な事例を読み解いていく点にある。第3章の事例は,原因とその特徴,健康影響,施策といった共通の項目で解説されているため,異なる事例のなかにも通底する課題の構造や力学,対応について気づくことができるような構成となっている。これから取り組むべき環境汚染の課題についても,その構造や力学を類推し,どのように対応していけばよいか考察できるようになることがねらいである。なお,気候変動や新型コロナウイルス感染症はいわゆる環境汚染とは異なるが,類似した構造と力学があり,示唆に富む対応がなされてきたため,環境に起因する健康リスクの事例として本書に含めた。
本書のもう一つの特徴は,健康リスクを軸として議論している点である。健康リスクは,有害性とその確率を考慮した値であり,課題を客観的に表現し,ほかの多種の健康リスクあるいは異なる価値観との比較を可能にする。本書ではすべての事例において,健康リスクに関して,その考え方を適用できるかどうかも含めて言及した。また,事例の後の章では,この健康リスクを軸として,課題の発見から評価,健康リスクに基づいた対応,リスクの認知を考慮したリスクコミュニケーション,不確実性がある場合の予防的取組み(いわゆる予防原則の考え方)に至るまでの一連の流れを網羅的にまとめている。個々の事例を知ったのちに,共通する健康リスクの考え方を学ぶことで,事例を横断的な視点で眺め,理解を深め,より実践的な考え方を身につけることができる。
本書の構成について述べる。第1章「環境汚染と健康影響の基礎」では,本書の基礎となる学問分野の公衆衛生の考え方について解説し,予防医学や環境保健のアプローチを紹介することで,本書における重要項目を要約し,後の章への導入とした。第2章「日本の公害」では,環境汚染の理解の原点となる日本の公害の代表的な事例について,事実の紹介にとどまらず,なぜそうなったのかといった背景や経緯の考察も含めて,法規制や環境対策の現状に至るまでの流れを示す。第3章「各種環境汚染による健康影響」では,現在進行形で課題となっている環境汚染の事例を取り上げ,上述の通り,原因とその特徴,健康影響,施策といった構成で解説している。具体的には,微小粒子状物質等による大気汚染,放射線による環境汚染,アスベスト(石綿)による環境汚染,室内環境汚染,気候変動,食品と容器包装,新型コロナウイルス感染症,マイクロプラスチックによる環境汚染,工業ナノ材料によるヒト健康リスクについて紹介している。また,トピックとしてPFAS(有機フッ素化合物)についても取り上げている。第4章「環境汚染の評価と対策」では,環境汚染物質の有害性の評価と健康リスク評価の一連の流れと具体的な手法を紹介し,化学物質のリスク管理に基づく法規制について解説する。最後に,対策を実行するうえで必要になるリスク認知とリスクコミュニケーションについても詳説する。第5章「科学的エビデンス」では,本書の根幹をなす科学的エビデンスの質の評価方法や根拠に基づく医療(evidence-based medicine:EBM)の実践法について述べる。第6章「予防原則」では,科学的な不確実さを有する問題にどのように対処すべきかの基本的な考え方となる予防原則について解説し,対応の遅れで健康被害が拡大した事例と早期に対応できた事例についてそれぞれ紹介する。なお,各項目はその分野を先導する研究者によって執筆されているため,最新の知見を含む専門性の高い考え方も学ぶことができる。またコラムでは,各著者による深い洞察から新たな視点を得ることもできる。
本書を手にとられているのは,主に,環境の改善や疾病の予防により人の健康や生活をより良くすることを目指している方々であろう。本書が,環境汚染による健康リスクの課題に取り組むための手引書となり,皆様の目標に向けた学びや業務に,実践的に役立つことを期待している。
2025年8月
水越厚史・東 賢一
目次
第1章 環境汚染と健康影響の基礎 [水越厚史・東 賢一]
1.1 公衆衛生と環境保健
1.1.1 公衆衛生とは
1.1.2 環境と社会の展望
1.2 日本の環境汚染の歴史
1.3 世界における環境起因の疾病
1.4 環境保健の実践
1.4.1 潜在的な影響
1.4.2 因果関係が不明
1.4.3 リスクトレードオフ
1.4.4 リスク認知のずれ
第2章 日本の公害 [加藤貴彦]
2.1 産業公害と環境汚染
2.1.1 公害とは
2.1.2 公害の法的・行政的対策の概要
2.1.3 産業公害
2.2 公害と法規制
2.2.1 主な公害・環境対策法規制体系
2.2.2 環境基本法
2.2.3 環境関連法
2.2.4 化学物質・安全衛生等に関わる法律
2.3 環境対策の現状
2.3.1 公害の苦情件数
2.3.2 典型7公害の動向
第3章 各種環境汚染による健康影響
3.1 事例 微小粒子状物質等による大気汚染 [道川武紘]
3.1.1 原因とその特徴
3.1.2 健康影響
3.1.3 施 策
トピック PFAS(有機フッ素化合物) [池田敦子]
3.2 事例 放射線による環境汚染 [高木麻衣]
3.2.1 原因とその特徴
3.2.2 健康影響
3.2.3 施 策
3.3 事例 アスベスト(石綿)による環境汚染 [友永泰介]
3.3.1 原因とその特徴
3.3.2 健康影響
3.3.3 施 策
3.4 事例 室内環境汚染 [池田敦子]
3.4.1 原因とその特徴
3.4.2 健康影響
3.4.3 施 策
3.5 事例 気候変動 [飯塚 淳]
3.5.1 原因とその特徴
3.5.2 健康影響
3.5.3 施 策
3.6 事例 食品と容器包装 [徳村雅弘]
3.6.1 原因とその特徴
3.6.2 健康影響
3.6.3 施 策
3.7 事例 新型コロナウイルス感染症 [水越厚史]
3.7.1 原因とその特徴
3.7.2 健康影響
3.7.3 施 策
3.8 事例 マイクロプラスチックによる環境汚染 [篠原直秀]
3.8.1 原因とその特徴
3.8.2 生体への影響
3.8.3 施 策
3.9 事例 工業ナノ材料によるヒト健康リスク [篠原直秀]
3.9.1 原因とその特徴
3.9.2 健康影響
3.9.3 施 策
第4章 環境汚染の評価と対策
4.1 環境汚染物質の有害性 [岩澤聡子]
4.1.1 環境中の有害物
4.1.2 曝露形態
4.1.3 曝露経路
4.1.4 体内動態
4.1.5 感受性
4.1.6 毒性の種類
4.1.7 発がん物質の種類
4.2 健康リスク評価 [岩澤聡子]
4.2.1 健康リスク評価とは
4.2.2 リスクアセスメント
4.2.3 有害性確認
4.2.4 量反応評価
4.2.5 曝露評価:生体試料測定による評価
4.2.6 リスク判定
4.3 リスク管理と法規制 [三宅祐一]
4.3.1 化学物質管理へのリスクの概念の導入
4.3.2 化審法におけるリスク評価・管理
4.3.3 労働安全衛生法に基づくリスクアセスメント
4.4 リスク認知とリスクコミュニケーション [東 賢一]
4.4.1 化学物質に対する不安
4.4.2 リスク認知
4.4.3 リスクコミュニケーションの位置付けと必要性
4.4.4 信 頼
4.4.5 リスクリテラシー
4.4.6 パブリックインボルブメント
第5章 科学的エビデンス [水越厚史]
5.1 科学的エビデンスの評価とEBM
5.1.1 エビデンスとEBM
5.1.2 EBM の起源と定義
5.1.3 EBMの二大原則
5.1.4 システマティックレビュー
5.1.5 メタアナリシス
5.2 EBMの実践法
5.2.1 EBM実践のための5つのステップ
5.2.2 根拠に基づく環境保健の実践
第6章 予防原則 [東 賢一]
6.1 基本理念
6.1.1 予防原則が重要とされる背景
6.1.2 予防原則の基本理念
6.1.3 予防原則と予防の用語に対する各国の扱い
6.1.4 予防原則に関する欧州連合や米国等の主張
6.2 対応の遅れで健康被害が拡大した事例
6.2.1 水俣病
6.2.2 労働者のアスベスト(石綿)関連疾患
6.2.3 ホルムアルデヒドによる室内空気汚染
6.3 早期に対応できた事例
6.3.1 ロンドンのコレラ
6.3.2 フロンによるオゾン層破壊
6.3.3 玩具と育児用品に含まれるフタル酸エステル類
コラム
1 経済活動と生活との価値観バランス [加藤貴彦]
2 疫学と公害裁判 [加藤貴彦]
3 水俣病の転換点,1957年 [加藤貴彦]
4 一つの化学物質に対する複数の法規制 [加藤貴彦]
5 公害問題と医学 [加藤貴彦]
6 新しい事象では試験の誤りや解釈の誤りも往々にして起こる [篠原直秀]
7 科学的不確実性が生じる原因について [東 賢一]

執筆者紹介
【編集者】
東 賢一 近畿大学医学部
水越厚史 近畿大学医学部
【執筆者】(五十音順)
東 賢一 近畿大学医学部
飯塚 淳 東北大学大学院環境科学研究科
池田敦子 北海道大学大学院保健科学研究院
岩澤聡子 防衛医科大学校医学教育部
加藤貴彦 熊本県総合保健センター
篠原直秀 産業技術総合研究所安全科学研究部門
高木麻衣 国立環境研究所環境リスク・健康領域
徳村雅弘 静岡県立大学食品栄養科学部
友永泰介 産業医科大学産業生態科学研究所
水越厚史 近畿大学医学部
道川武紘 東邦大学医学部
三宅祐一 横浜国立大学大学院環境情報研究院






























